車に乗らない奴は反日である※貧しいのは罪だ

 
車に乗らない奴は反日である。
日本という国は素晴らしいと嘯く若者が増えているそうだがそんなものは口先でけであり、実態は国に何の貢献もしていない。

車はもとより消費もせずに結婚も消極的でお金が入っても貯金して休日は家でゲームをすると安上がりと考えている人種だ。
こんなことでは経済が回らないし国内消費も落ち込む一途。
車を買えば消費は必ず発生する。車があればどこかに出かけたいし更にお金も出ていくことだろう。
しかしそれもせずに口では日本上げして実は日本下げである。

こんな奴達に日本は任せられない、しかしいずれそういう人間たちだけになるだろう。
つまり日本は終わりなのである。

車は実は欲しいが買えないのは罪か?


若者も車は欲しいが買えないだけだというのが本音だろう。
それは貧しいということを意味する。
それは罪なことである。

かつてブッシュ大統領(ブッシュジュニア)は貧しいのは罪だという趣旨のことを言って叩かれたがそれはある意味で真実である。
何の頑張ることもなく口先だけで文句を口走り、貧しいのは社会のせいだとするのは罪以外に何者でもないだろう。

社会分配率が減っているのは政治責任であるとするがそれならば努力したのか?
努力したなら貧しくない筈だ。
貧しいが他のことを努力しているならばそれはそれで立派なことだと思う。

しかしそれさえもなくただ漫然と貧しいのであれば完全に愚者であり反日行為である。
私はいわゆるネトウヨではないが口先での輩の反日行為は許されざることだと日に日に感じている。

貧しさを脱出する方法とは死ぬほどの努力ではない


多くの人々が勘違いをしているのは貧しさを貧困を脱出するには血の滲むような努力が必要だという誤りである。
確かに裸一貫から大金持ち、富豪になるには血の滲むような努力と運が必要だ。
しかし人並みや人並み以上になるくらいならそんな努力は必要ない。

淡々と金が儲かることを日々の業務として行うレベルでそうなることができる。
そのレベルの幸せな社会が目の前にあるのに人々は日本人はなぜかお金のことで絶望している。
絶望社会と言うが何に絶望しているのか。

何もチャレンジせず悩んでいるだけで考えた気になるのは頭のおかしいことであり、ちょとチャレンジして2〜3年も奮闘したら勝手にお金が向こうからやってくるだろう。

それなのに人々はおかしなことばかり言って、おかしな事ばかり考えて、勝手に自滅したり希望がないと言っている。不可思議である。

誰でも車を持つことができる社会は政治責任ではない


たまに政治責任で国民の貧困を改善させるべきだと言う人々がいる。
しかしそれはベネズエラのような非常事態レベルの国家の話であり、世界一、二を争う程の裕福な日本社会でそんなことを言うのは間違っている。

すでに(※多少の)自助努力で何とかなる社会になっている。
だからなぜお金を得るために直接的に努力しないで文句ばかり言っているのだろうか?
多分これは歴史を通じてもずっと同じことが言えるだろう。

全ての人々がお金に向かって努力をした時期はない。
むしろ現代が一番競争率が激しいのかもしれない、日本においても。
それでもまだまだ緩い。日本人は教育レベルが高いと言われるが私からしたら人々の八割以上はまだまだおかしなことばかり言っているし考えている。
どうでもいいことに悩み、やればいいのにやらない。

そんな人達がいるから多少の努力で上手く行く人々が運が良いと言われている。
しかしそうじゃなくて周りがバカばかりだから多少の努力で上手く行くやつが出てくるのだ。
これが今の中国だったら過当競争に陥っていて、能力の差がないものだから後は足の引っ張りあいになるという。
究極的に競争が激化すると当然そうなる。人間の能力なんてたかが知れている。限界なんてどんな人間でも同じこと。
だから最後は足を引っ張り合うことでしか差が生まれなくなる。

それを日本人はなぜか中国人は野蛮だなと言う。
しかしそれは日本という国家が裕福で競争が緩いからだ。
ただそんな状態で中国には勝てなくなるだろう。過去からの遺産を食いつぶした時に日本人はきっと中国人に食い尽くされるに違いない。

日本政府も競争する意識はなくただただ(江戸時代の武士のように)対面だけを重んじるような愚鈍な人間ばかりであり、外交でも連戦連敗、相手にもされていない。
日本人が優位にあるのは経済だけだがそれも凋落して全てにおいて落ちぶれる日がやってこようとしている。

そう言えば車も今は日本製が優位だが多くの人々が指摘するように家電のようになると思う。
つまり私たちはそのうちに中国製などアジア製の安い車に乗ることになるのだ。
残念でならない。あるいは総じて軽自動車かもしれない。

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